前出のノーベル賞受賞者であるスペリーはこの実験結果を受けて、ある結論に達した。
我々は脳によって意思を決定しているとか、あるいは大脳の電気信号によって
動かされていると思っている。
しかしそれは実は表面上の出来事に過ぎず、本質ではなかった。
即ち脳とは、その上位に存在する何か見えざる主人…ここでは仮に“霊魂”とするが
──霊魂の下請け機関に過ぎない。
如何なる人間の行動も、まずはどこかにある霊魂がそれを立案し、それを受けて、
肉体の命令をつかさどる器官である脳が働き始めるのではないかというものだ。
キリスト教では古来より人間を、肉体(ソーマ)、魂(プシュケー)、霊(プネウマ)
の三重からなる存在と想定している。
肉体は、言うまでもなく目に見えるこの世界における活動デバイスの事だ。
霊とは生命力の事で、生命活動を行っているあらゆる部位に宿る。
60兆と呼ばれる細胞や、腸内細菌一つ一つにも宿っている。
だが「魂」は、それぞれの人間に1つしか無いものだとされる。
この「魂」が命令を下して、肉と霊の結合体である脳がそれに従っていると
考えられてきたのだ。
むろんこの仮説は「科学的」なものとして受け入れられる事はなかった。
物質である「肉体」はむろん観測できるし、「霊」すなわち生命活動も観測できる。
しかし「魂」はいかなる測定方法をもってしても観測できず、実在を確認できないためだ。
そのためこの説は闇に葬られた。
しかし現段階の技術で観測できないものが、必ずしも存在していない事を意味するものではない
という事は、これまでの科学的な新発見の歴史を見ても明らかだ。
そしていまやこのオカルトめいた仮説は、新たに素粒子論の世界で科学的理論として
再構築される事になる。
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