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タレントのryuchellさん死亡 東京・渋谷区の事務所で


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035 2023/07/12(水) 21:39:39 ID:D09bZO9xkI
幸せを絵に描いたような家族の暮らしが断ち切られてしまうとは、誰が想像できただろうか。
転機は1996年春に「総務管理課文書係」に配属されたことだった。

職員の給料から市内の施設の運営まで、市政のルールは「条例」や「規則」で決まっている。
それぞれに担当課はあるが、ともに条例・規則の文案をつくり、市議会に提出するのが文書係の主な仕事だ。
行政文書に誤りやあいまいな点があってはならないが、担当課は条文の書き方には詳しくない。
文書係が担う役割は大きかった。

最初の不調は1999年4月の胃潰瘍だった。
心労が重なったものとみられ、2週間の病気休暇をとった。
その後も医師からはさらなる静養を勧められたが、浩さんは「出勤する」と言い張った。

「お父さん、命と仕事とどっちが大事なの?」

美智子さんは必死で止めたが、浩さんは首を横に振った。

「あの仕事の山を思い出すと家でゆっくりと寝てられない。余計ストレスがたまる。
すまん。仕事に行かせてくれ」

無理がたたり、半年後の1999年11月に胃潰瘍が再発した。
それでも浩さんは働き続けた。

2000年3月の議会に提出する条例案は、山のようにあった。
夜の8時、9時ごろまで役所で働き、帰宅後も1時間ほど休んでから深夜1時ごろまで書斎にこもった。
翌朝は5時起床。一日の睡眠は4時間ほどだった。

異状は美智子さんの目にも明らかだった。
顔色がめっきり悪くなった。
温厚な人柄は影を潜め、イライラする機会が増えた。

「夢の中でも寝言で仕事の話をしていました。電話の応対だったり、
条例のことを説明していたり。はっきりとした大きな声でした」(美智子さん)

忙しい父を支えるため、マー君もけなげにがんばった。
休日になると「お父さんは寝ているから」と言い、自分から外に遊びに行った。
幼稚園で発表会があった日、市役所勤めのほかのお父さんは見に来たのに、浩さんは来られなかった。
そのときも文句一つ言わなかった。

家族一丸となって苦しい時期を乗り切ろうとしたが、2000年3月の議会の直前になって、
疲れ切った浩さんをさらなるアクシデントが襲った。
条例案の一部にミスが発覚したのだ。
部下が担当した部分だったが、浩さんは大きな責任を感じた。

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