松平家(後の徳川家)の祖先が、新田氏の血筋である「世良田(せらた)」を名乗っていたという伝承は存在しますが、それを裏付ける確固たる同時代の史料や証拠は現在のところ確認されておらず、歴史学的には後世の創作(仮冒)である可能性が高いとされています。
1. 「世良田」を称した記録
松平家の一部当主が「世良田」を名乗っていたという記録は複数あります。
松平清康(徳川家康の祖父)は「世良田二郎三郎」を名乗っていたと『三河物語』などの江戸時代の書物に記述されています。
松平家二代泰親、三代信光も世良田の姓や通称を称したとされています。
徳川将軍家でも、家康の四男忠吉や七代将軍家継の幼名などが世良田を称しています。
2. 血筋の真偽と通説
江戸時代に幕府が公式に定めた系譜では、松平家の祖である松平親氏(ちかうじ)は、清和源氏新田氏庶流の得川義季(世良田義季)の子孫であるとされています。
しかし、これは以下のような理由で、江戸幕府の権威付けのために後から作られた(仮冒)ものであるというのが現在の歴史学界の通説です。
系譜の不自然さ
親氏から家康までの系譜は、各地を流浪した末に松平郷の豪族の娘婿になったなど、信憑性に乏しい部分が多いとされています。
「源氏」の権威
征夷大将軍は源氏の血筋でなければならないという慣例があったため、足利将軍家に対抗する意味でも、同じ清和源氏の流れを汲む新田氏の末裔と称する必要がありました。
同時代史料の欠如
松平氏が新田氏の血筋であるということを裏付ける戦国時代以前の確実な史料や物証がありません。
別の出自説
松平家はもともと賀茂朝臣を称していたとする説や、三河の土豪から起こったとする説など、複数の説が存在します。
3. 「証拠」としての解釈
「証拠」として挙げられるのは、むしろ江戸時代になってから徳川幕府が「世良田=徳川発祥の地」として手厚く保護し、関連する寺社を建立したという歴史的事実です。
これは、血縁の事実があったからではなく、幕府が自らの正当なルーツとして定めたことの表れです。群馬県太田市には現在も「徳川発祥の地」として世良田東照宮などが残されています。
結論として、松平・徳川家が「世良田」を名乗った事実はありますが、それが新田氏の血筋であったことの直接的な証明となる確固たる証拠は存在しない、というのが一般的な見解です。
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