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https://www.youtube.com/watch?v=VUfyQVQ5xE... 重慶爆撃
ドイツ軍のゲルニカ爆撃(37年4月)とともに敵の抗戦意欲の低減をねらい、軍事目標だけでなく市街地も無差別に爆撃するという戦略爆撃の始まりを示すものであった。
航空部隊用法 昭和十二年 陸軍航空本部調製(重慶爆撃が始まる1年前に制定したもの)
第四章 攻略攻撃 第百三 直接其の住民を空襲し、敵国民に多大の恐怖を與えて其の戦争意志を挫折すること
36:00から
日本と中国双方の一次資料から明らかに なったのは日本軍の無差別爆撃でした。
戦後になって市街地に置かれた中国軍の高角砲を破壊するためやなく爆撃したと いう話が浮上しました。
しかし戦時中の日本軍の戦闘詳報には高角砲の位置が細かく記載されています。その上で市街地の絨毯爆撃をしていました。
例えばこの戦闘詳報には高角砲の間を抜けて爆撃している弾着図が記載されています。
明らかになった無差別 爆撃。これは偶発的に起きたのでしょうか。
これは日本陸軍の航空部隊用法中継爆撃が始まる1年前に制定されていました。そこにはこんな一文が記されています。
「直接その住民を空襲し敵国民に多大の恐怖を与え てその戦争意思を挫折すること」
住民への直接攻撃は軍の方針として最初から決まっていたのです。
そしてこのことが新たな戦争の始まりへと繋がっていくのです。
重慶への無差別爆撃はアメリカでも報じられ、日本との間にも深い溝が生じていきます。
1941年7月米軍の一隻の船を巡る出来事が新たな戦争の始まりに繋がっていくこと になるのです。
重慶爆撃開始からおよそ3年後アメリカ軍空母から離陸した爆撃機が日本本土を初めて空襲
その2年後には中国からB29が北九州を爆撃、3月10日東京大空襲、そして8 月広島長崎に原爆が投下されたのです。
中国に対し繰り返し爆撃を行ってきた 日本がアメリカの空襲により焦土と化したのです。
重慶爆撃を長年調査してきた軍事 ジャーナリストの前田哲夫さん
「日本が重慶に対し中国にして行ったその 戦法が、何年かの後4年か5年かの後、逆に日本に対してえ行われる。日本空襲はそういう歴史の因果のよう な関係になってきますよね。
日本が先鞭をつけたという先行行為としてあったそれがアメリカに対して日本 を焼き払う東京焼き払う、広島・長崎に原爆を落とすことのためらいを少し和らげることになった可能性はま十分にあったと思い ます。
東京大空襲を経験したさ勝本さんは後、自ら重慶に出かけて日本が行った爆撃を 調べたことがあります。
「・・・都市無差別爆撃というのは日本から先に始めたもんじゃないのかということが痛切に分かりましたね。
まそれはこちらに跳ね返ってきたわけですけどもブーメランのように。戦争って いうのはそういうもんですね。・・・」
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