玉川徹、広陵の辞退に「個人の問題が全体の問題になるのはおかしい」


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025 2025/08/12(火) 08:50:24 ID:9DdaYG4X6c
札幌商業涙のUターン事件

1971(昭和46年春)センバツ出場校に選ばれ、3月13日の朝に甲子園に向けて出発。札幌駅では盛大な壮行会が行われ、選手は函館行きの列車に乗り込んだ。その裏で、学校では不祥事が発覚していた
一般の2年生生徒による3年生への暴行事件で、被害者の3年生が入院する事態となり、各新聞社にも知れることになっていた。そのころ函館に着き、青森への青函連絡船に乗り込んだ選手たちは
学校で甲子園出場を辞退するか職員会議が行われていることなど、知るよしもない…学校の会議では「野球部に関係のない事件だから出場させよう」という意見が大勢を占めた。だが、その日の新聞の夕刊で
事件が大きく報じられると、苦渋の選択で出場辞退を決定。船中の選手たちにも知らされ「船を降りるな」という指令が下された。
選手たちは青森で下船することなく、乗船したまま引き返し、函館に着くとバスで札幌市内の学校へ。到着すると泣き崩れた。世に言う「涙のUターン事件」、歌手・都はるみのヒット曲を引用して「涙の連絡船事件」とも呼ばれる、高校球史に残る事件となった。
野球部長は青森に着くと、北海道に引き返す監督、選手と別れ、単身で大阪に向かった。日本高野連会長の佐伯達夫に、この顛末を報告し謝罪。佐伯は「ようきてくれた」と慰労したという。
当時の佐伯は、野球部以外の不祥事でも“一蓮托生”として出場停止処分にしたほど厳格、絶対的な権力を誇っていた。この時、北海が辞退しなくても出場停止処分を科していただろう。
不祥事に対する処罰は佐伯亡き後、日本高野連の会長が牧野直隆になって以降に緩和され、野球部とは無関係な場合は問題なしとされるようになった

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