釜本邦茂さんが肺炎で死去 81歳 日本史上最高のストライカー


▼ページ最下部
001 2025/08/10(日) 14:34:31 ID:WtBrJEKbZs
968年メキシコ五輪銅メダリストで、日本サッカー界を代表するストライカーとして活躍した釜本邦茂さんが10日に大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。同日にJリーグが発表した。
京都府出身。2023年9月ごろから誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。昨年の秋に手術を受け、一時、回復したものの療養を続け、6月中旬に容体が悪化した。

Jリーグは「日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました」と訃報を伝えた。
そして「釜本氏は、元日本代表(1964~1977年)としてプレーされ、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きました。2005年、日本サッカー殿堂に掲額。81歳でした」と故人の功績を伝え、
「ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします」としのんだ。
なお、通夜、告別式は近親者のみで執り行う意向で、お別れの会の実施については後日案内するとしている。

京都生まれの釜本さんはスポーツ万能で、小学校では野球もサッカーもやっていた。
蜂ケ丘中入学時にプロ野球選手を夢見て野球部に入るつもりだったが、サッカー部の顧問から「野球は日本と米国だけだが、サッカーは五輪もあるし、世界中に行ける」と言われたことでサッカー部に入部。
すぐに頭角を現し、「点取りガマ」のニックネームをもらった。山城高時代から大型ストライカーとして注目され、1年でユース代表にも選ばれたが、経済的な事情で辞退。
2、3年の時はアジアユースに出場し、活躍した。

早大に進学し、1年の時に日本代表入り。東京五輪の日本代表に選ばれ、ベスト8入りに貢献した。ただ、ゴールはこぼれ球を押し込んでの1得点のみでみじめな思いをひきずったという。
「たとえ試合に勝っても自分が無得点だったら不満だし、負けてもゴールを挙げていれば満足。独善的といわれようが、ゴールという唯一の目的を果たすには、こうするしかなかった」
東京五輪での屈辱が、ストライカーとしての強烈な自負を芽生えさせた。

現役時代のハイライトは7得点で得点王にも輝いた1968年メキシコ五輪。1次リーグ初戦のナイジェリア戦でいきなりのハットトリックを決めた。
そのうち2点は杉山隆一とのホットラインにより生まれたもの。毎日100本近くセンタリングを受けてシュート練習をしていたという、名コンビは世界の脅威となった。
開催国メキシコとの3位決定戦で2得点をマークし、日本に初のメダルをもたらした。「3番目のポールに揚がった日の丸がまぶしく見えた」
普段はトロフィーなどは友人らにあげていたが、メキシコ五輪銅メダルだけは金庫で大事に保管したという。

引退後は、テレビ番組のキャスターや参議院議員など、多岐にわたって活躍。日本サッカー協会副会長などの要職を歴任、最近はサッカー解説や講演活動などを行っていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a0ee7fae9a867b12e0fa...

返信する

※省略されてます すべて表示...
015 2025/08/12(火) 18:03:58 ID:xHYmA5N5lo
どう見ても韓国人だよね、やっぱ…

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:7 KB 有効レス数:15 削除レス数:0





ニュースエンタメ掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:釜本邦茂さんが肺炎で死去 81歳 日本史上最高のストライカー

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)