35年前「ミラクルガール」や「ZUTTO」などでヒット曲で大ブレイクした、永井真理子さん。
NHK紅白歌合戦にも出場を果たし、当時、日本人女性では初の横浜スタジアム単独ライブを成功させるなど、トップアーティストとして平成初期を彩った彼女は、ある日突然、歌うことをやめてしまいました。
彼女に一体何があったのか…、「めざまし8」は、現在57歳になる永井さんにお会いして、その人生を追いました。
20歳でデビューし、若くしてスターへの道を駆け上がった永井さん。当時のことをこう振り返ります。
永井真理子(以下永井):ツアーがもう年間100本とか。ほとんど家にいない状態。テレビであったりラジオであったり、取材であったり、もう毎日何かをしているような状態で、
なんか自分がどこにいるのかもわからないような、そんな生活をしていました。
コンサート会場が、やるたびに大きくなっていって…半年ぐらいして、もう渋谷公会堂でできるようになって、武道館・アリーナ系の所に行って…横浜スタジアム。
もうなんか、毎日夢を見ているような、そんな気持ちでした
26歳の時、ギタリスト・COZZiさんと結婚。出産を経て、徐々に活動のペースを落としていった永井さん。36歳の時にオーストラリアへ移住しました。
永井:海外で生活したことも、もちろんないので、そういう経験も一つしたかったし、音楽的にもいろんなものを取り入れたかった。
「一つの分岐点にもなったらいいな」というふうに思っていましたので。
当時6歳だった長男のことを考え、教育環境が充実したオーストラリアへ。音楽的にも新たな刺激を求めての移住でした
しかし、彼女はここで、歌をやめてしまったのです。
永井:新しい自分を見つけようと思って、勢いよく出たんですけれども、でも、後ろを振り返った時に「勉強が足りなかったんじゃないか?」っていう後悔の方が膨らんできちゃったんですよね。
歌うことが怖くなっちゃったんですよね、声を出すことが。
さらに、輝かしい経歴であるはずの“大ヒット曲”が彼女を苦しめます。
永井:私の代表曲と言われる「ZUTTO」であったり「ミラクル・ガール」。それだけを聴いて帰られちゃう方とかもいらっしゃって、もうほんと毎回、葛藤です。
「もっと私、いっぱい歌ありますよ。」って。歌わなくなっちゃった時期もあったんですよ。そうするとね、「残念」とか、「せっかく来たのに」とか。
もうなんかね、切なくなっちゃって、つらい時期がありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/864c2e50bd70740c35412...
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