>>28 芸術という領域には、商業的な側面が深く根付いていることを、私たちは改めて認識する必要があります。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの時代にも、芸術作品を完成させ、発表し、販売する過程において、経済的な採算を考慮しなければならない状況が存在しました。
確かに、純粋な芸術性の追求にのみ焦点を当てる分野もあるにはありますが、商業的要素が絡む事例が圧倒的に多いのです。
特に、素人の方々が陥りがちな誤解は、芸術を単なる自由な表現やストイックな純粋性に還元してしまうことです。
「芸術は何をやっても良い」とか「芸術は崇高でなければならない」といった一面的な見解は、芸術の多面的な性質を見失わせてしまいます。
実際には、芸術は、純粋な表現を追求する世界と、商業的ビジネスとしての側面、さらにはその両者を融合させた複雑な領域で構成されています。
この点において、K-POPは商業的な成功を収めた一例として挙げられますが、芸術的な革新性には乏しかったかもしれません。
しかし、最近のノーベル文学賞の受賞は、芸術性に特化した新たな地平を示すものであり、その意義は計り知れません。
では、現代日本の芸術状況はどうでしょうか。振り返ると、過去の作品の焼き増しや、低予算での手抜き作品が多く、商業思想に囚われたアートが幅を利かせています。
これらの背後には、日本が直面している「失われた30年」が影を落としており、物質的な豊かさと精神的な豊かさが崩壊している状況があると言えるでしょう。
日本の芸術界は、こうした厳しい現実に対して、どのような方向性を見出すべきなのか、真摯に考えるべき時期に来ています。
返信する