事の発端は、シナの軍閥による日本への挑発。
清国末期、満州には日本を含め、欧米各国が駐屯しており、日本人の安全のために日本も関東軍を置いていた。
そこで起こったのが日本への数々の挑発。
ついにシナ事変へと発展した。
近代になっても華夷秩序の最下層に日本を置いていた中華民国は日本の強さを見誤っていて、アメリカに救援要請。
しかし日米は表向きは友好を保っていたため、策を弄し、アメリカを懐柔。
日露戦争で仲裁し、日本の勝利をもたらしたアメリカだが、当時のセオドアルーズベルトは、ロシアを駆逐した日本への警戒感、危機感を持ってしまい、
以後アメリカは日本とは距離を置いた。日本も、そんなアメリカの急変を察知し、必ず日米開戦はあると読み、そのための作戦を練っていた。
そんな微妙な関係の日米を割り、アメリカは中国についた。欧米各国は、満州の利権を日本に独占させては黄色人種がますます調子に乗る。
これは植民地の開放へとつながる可能性もあるので、日本を徹底的に追い込んだ。
そして日米開戦。
日露戦争後、第1次大戦を経て、日米開戦のために着々と準備を続けていた日本は、フィリピン攻略でアメリカを叩く作戦を何十年もシミュレーションしていたにも関わらず
突然の真珠湾攻撃へと切り替えた。これが日本敗北の最大のきっかけ。
対米戦争では、ミッドウェーを境に立場が逆転し、日本の敗北は濃厚になっていく。
一方中国では、岡村大将率いる陸軍によって、大陸だ通作戦を遂行。文字通り、大陸を縦断しながら戦争をし、その船籍200戦1敗。ほぼ無傷という状態。
これが中国が日本を恐れる最大の理由でもある。中国人は華夷秩序の下にいた日本にプライドをずたずたにされたのだから。
日本は後付けて、八紘一宇、大東亜共栄圏を掲げ、アジアを植民地から解放するというとんでもない計画を持った。これで日本軍は分散し、ロジが追い付かず自滅の道へと進んでいく。
アメリカはダウンフォール作戦という、日本本土決戦を計画していたものの、米軍の死傷者は推定500万人と考えられ、作戦遂行した場合トルーマンは世論を抑えきれないと思っていた矢先
原爆が完成。それを2個落とされて終戦。アメリカが原爆はあの戦争を終わらせた価値のあるものだと今でも思っているのがこれ。500万人の米兵の命を救ったと思っている。
ちなみにに大本営はダウンフォール作戦を察知しており、17歳から64歳までの男女を全員兵役につかせ約2000万人で迎え撃つ無謀な計画を考えていた。
さて、終戦を迎えたその頃、実は日本はまだ無傷の戦力を残していた。それが上記の岡村軍。当時万里の長城に陣を張っていた。
日ソ不可侵条約をを破ったソ連だが、岡村軍のいる万里の長城だけは絶対に手を出すなとスターリンから命令されていた。
中国は内ゲバが始まっており、日本が戦っていた蒋介石率いる国民党軍(中華民国)は、毛沢東率いる共産党軍にやられてしまい、台湾へと逃げ込んだ。
そして蒋介石は、敵である岡村大将へ救援を求め、岡村大将の命令によって、根本中将が台湾を救出した。
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