映画や五輪選手の影響か『特攻』ゆかりのある施設を訪れる若者が急増


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001 2024/08/18(日) 11:10:43 ID:o.GcSc1.jg
太平洋戦争で命を落とした特攻隊員の遺書や手紙、遺品などを展示する鹿児島県内施設への来館者が増えている。
南九州市の知覧特攻平和会館は夏休みに入って来場が増え、通常の千人程度に対して3000人を超す日も。家族連れや若者が目立ち、それぞれに平和への思いを新たにしている。

特攻を巡っては、隊員を題材にした小説「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(汐見夏衛さん=鹿児島市出身)が交流サイト(SNS)などで話題となり映画化された。
パリ五輪卓球の早田ひな選手が帰国後会見で「鹿児島の特攻資料館に行きたい。生きていること、卓球ができることが当たり前でないことを感じたい」と話したことでも注目されている。

終戦の日の15日、知覧特攻平和会館入り口は観光客らの列ができた。南さつま市の学生、中村みなみさん(18)は「最近映画を見たので、ここの展示を見ると平和な毎日をありがたく思う」
大阪府守口市の学生、世森詩萌さん(21)は母に誘われた。「(戦争当時に)自分だったらどうしただろうと考えると声も出ない。早田選手の発言で若い世代がここに関心を持つならいいことだと思う」

鹿屋市からは最も多くの特攻隊が出撃したとされる。15日にあった旧海軍鹿屋基地から出撃して亡くなった隊員を慰霊する式典では、
鹿屋航空基地史料館協力会の平田辰雄会長(80)が、同史料館を高校生や大学生ら若者が多く訪れることを紹介。「どうしたら平和が続き、戦争が起きないかということを考えるきっかけにしてほしい」と訴えた。

南さつま市観光交流課によると、万世特攻平和祈念館には7月から8月15日までに2820人が来館。
2018年度以降の7~8月の最多2392人を既に上回る。15日だけでも300人超が訪れ、昨年を100人近く上回った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/24473bb2238c67ecdcaf7...

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002 2024/08/18(日) 11:39:08 ID:Znfa3PXjgQ
[YouTubeで再生]
作戦としてどうだったかはおいておいて、
日本のため、あの作戦に殉じていった先人たちへ哀悼の意を表するのは日本人として当然のこと。
みんな20歳やそこらで特攻していったんだ。
女性を知らずに特攻で旅立った彼らのために、靖国神社の遊就館には遺族から送られた多数の花嫁人形が飾ってある。

たかじんのそこまで言って委員会で故三宅久之氏が訪れた際の動画。
これを見ても何も感じない奴は日本人ではない。

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003 2024/08/18(日) 11:45:03 ID:AT4sO6l7Qk
長州藩のクズどもが作った靖国など何の価値もない

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004 2024/08/18(日) 11:47:03 ID:WxqrEH/Aio
強いヤツにちょっかい出そうとは思わない・・・・日本はどーすりゃいい?

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005 2024/08/18(日) 11:57:48 ID:4Ho2aXJj/.
わたし知覧にも行ったし
このドラマも見た
決して戦争を美化したものじゃない
でも泣いた...

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006 2024/08/18(日) 12:02:06 ID:XIAtp6M.5o
特攻の真実を知ることはよいこと。

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007 2024/08/18(日) 12:09:54 ID:zxZVd1bO3o
2千万 あと2千万人特攻すれば 必ず勝てる!!

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008 2024/08/18(日) 12:21:13 ID:zQBUbudWNk
みんなが打つから
嫌だとは言えなくて
ワクチン打ったら
亡くなった方も
敬うべきだと思います

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009 2024/08/18(日) 12:51:04 ID:Znfa3PXjgQ
事の発端は、シナの軍閥による日本への挑発。
清国末期、満州には日本を含め、欧米各国が駐屯しており、日本人の安全のために日本も関東軍を置いていた。
そこで起こったのが日本への数々の挑発。
ついにシナ事変へと発展した。
近代になっても華夷秩序の最下層に日本を置いていた中華民国は日本の強さを見誤っていて、アメリカに救援要請。
しかし日米は表向きは友好を保っていたため、策を弄し、アメリカを懐柔。
日露戦争で仲裁し、日本の勝利をもたらしたアメリカだが、当時のセオドアルーズベルトは、ロシアを駆逐した日本への警戒感、危機感を持ってしまい、
以後アメリカは日本とは距離を置いた。日本も、そんなアメリカの急変を察知し、必ず日米開戦はあると読み、そのための作戦を練っていた。
そんな微妙な関係の日米を割り、アメリカは中国についた。欧米各国は、満州の利権を日本に独占させては黄色人種がますます調子に乗る。
これは植民地の開放へとつながる可能性もあるので、日本を徹底的に追い込んだ。

そして日米開戦。
日露戦争後、第1次大戦を経て、日米開戦のために着々と準備を続けていた日本は、フィリピン攻略でアメリカを叩く作戦を何十年もシミュレーションしていたにも関わらず
突然の真珠湾攻撃へと切り替えた。これが日本敗北の最大のきっかけ。
対米戦争では、ミッドウェーを境に立場が逆転し、日本の敗北は濃厚になっていく。
一方中国では、岡村大将率いる陸軍によって、大陸だ通作戦を遂行。文字通り、大陸を縦断しながら戦争をし、その船籍200戦1敗。ほぼ無傷という状態。
これが中国が日本を恐れる最大の理由でもある。中国人は華夷秩序の下にいた日本にプライドをずたずたにされたのだから。

日本は後付けて、八紘一宇、大東亜共栄圏を掲げ、アジアを植民地から解放するというとんでもない計画を持った。これで日本軍は分散し、ロジが追い付かず自滅の道へと進んでいく。
アメリカはダウンフォール作戦という、日本本土決戦を計画していたものの、米軍の死傷者は推定500万人と考えられ、作戦遂行した場合トルーマンは世論を抑えきれないと思っていた矢先
原爆が完成。それを2個落とされて終戦。アメリカが原爆はあの戦争を終わらせた価値のあるものだと今でも思っているのがこれ。500万人の米兵の命を救ったと思っている。
ちなみにに大本営はダウンフォール作戦を察知しており、17歳から64歳までの男女を全員兵役につかせ約2000万人で迎え撃つ無謀な計画を考えていた。

さて、終戦を迎えたその頃、実は日本はまだ無傷の戦力を残していた。それが上記の岡村軍。当時万里の長城に陣を張っていた。
日ソ不可侵条約をを破ったソ連だが、岡村軍のいる万里の長城だけは絶対に手を出すなとスターリンから命令されていた。
中国は内ゲバが始まっており、日本が戦っていた蒋介石率いる国民党軍(中華民国)は、毛沢東率いる共産党軍にやられてしまい、台湾へと逃げ込んだ。
そして蒋介石は、敵である岡村大将へ救援を求め、岡村大将の命令によって、根本中将が台湾を救出した。

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010 2024/08/18(日) 13:32:58 ID:oL2nTfKacA
>>9
素晴らしいまとめ。

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011 2024/08/18(日) 13:54:10 ID:995q2gFeys
012 2024/08/18(日) 14:58:59 ID:sUKstvBmFM
多数派のやっている事は、必ず正しい。

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013 2024/08/18(日) 15:26:54 ID:IMZqFF3rJw
>>2 全面的に大賛成だよ。
君みたいな「ちゃんとした日本人」が多数派になってくれることを願っている。
>>6  俺が金を出すから支那にでも行って、そこで暮らせ。

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014 2024/08/18(日) 17:07:26 ID:rWJpjvZgSE
>>6
「女のような くさったおく病者」

女の人は、腐った臆病者イコールだそうですよ
この本、発禁だね

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015 2024/08/18(日) 17:39:00 ID:dkR4IS8gLY
「特攻資料館」は「政治的な施設」ではないということを
キッチリと示すべきだ。
この辺りをいい加減にしておくと
次は「原爆慰霊祭」も「反省がない」とナンクセ付けられるようになるぞ

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016 2024/08/18(日) 18:00:26 ID:RSVzlhw1AI
特攻で亡くなった青年らや、この戦争で犠牲になったすべての人達を
追悼するのは当然の話で、今の平和な状態を保持し続けるために
最大の努力をすることが彼らにとって一番の供養になる。

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017 2024/08/18(日) 20:10:54 ID:FcBRGjgZhU
金持ちが戦争を仕掛け
殺されるのは貧乏人
  サルトル

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018 2024/08/19(月) 23:27:54 ID:Ee.9GPAEQY
次はみんなで靖国神社に行こう

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019 2024/08/20(火) 10:46:29 ID:ybCOU69qvk
若者が興味持つことはいいことだ

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020 2024/08/20(火) 11:44:03 ID:oHAlbaf7JY
この時期になると必ず思い出す。ずっと前に死んだじいちゃんが言ってたこと。「戦況やら作戦やら、難しいことはわからんが、
敵陣に『かあちゃん!』と泣き叫びながら突っ込んでいった若い子の姿や声は忘れられんし、あの子らを侮辱することは絶対に許せん」と。

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021 2024/08/20(火) 13:56:08 ID:L9mnd6QAyY
【素顔の特攻隊 事実上の強制だった】

その日は、楽しい一日になるはずだった。1945(昭和20)年2月8日。艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。

しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」

爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦から始まった。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊も特攻隊に組み入れられることになった。

紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。その場は重苦しい雰囲気に包まれた。

当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。

午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と語り合った。

「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」


https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201808/0012768...

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026 2024/08/21(水) 02:41:21 ID:vHWP9w2Kpc
こういう若者がもっと増えれば日本は良くなる

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