1980年代にバラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の3人組番組アシスタント「いいとも青年隊」の初代メンバーとして人気を誇った。
ところが2007年、詐欺罪・恐喝未遂罪などで逮捕され、2度収監されることになった。
出所後はどこでどうしていたのか。沖縄・北谷にある“美浜アメリカンビレッジ”のカフェで話を聞いた。
「ここは僕の行きつけのカフェ。従業員もみんな顔見知りで、僕の仲間(友人)が自然と集う店です。自宅もここから車で5分くらいのところにあります。
僕が生まれ育ったコザ市(現・沖縄市)胡屋(ゴヤ)からも車で10分。学生時代にはよく自転車で来て海で釣りなどを楽しんでいた、馴染みの場所なんです」
羽賀さん、とてもリラックスした様子だ。よく日焼けして、白い顎ひげがオシャレだ。2021年9月に2度目の出所を果たした後、沖縄を拠点にしているんですか?
「2011年に保釈されたときに、家族4人で東京から北谷に引っ越してきました。こっちには僕の高齢の母親や親戚、友人がいますし、すべて終わるまでは芸能活動もできないと思いましたから。
入っていたのも沖縄刑務所で、出てからもずっとこっちにいます。すぐに芸能活動で忙しくなるわけではありませんから。
それに見てください、この青い海! 最高でしょ? 今の僕にここを離れる理由はありませんよ」取材中にも羽賀さんの友人が何人も通りかかり、声を掛け合う。生まれ育った沖縄は、居心地が良いようだ。
「友人がどんどん増えて楽しいです。たとえば、よく通うレストランやバーのオーナーや従業員、そこからの紹介で友だちの輪が広がっていくんです。何度も通っていたら自然と。声もかけられますし。それで一緒に誕生会をやったり、バーベキューを主催してワイワイやったり。
仕事は今、何をしているのだろうか。
「ひとつは沖縄に所有する不動産の管理。古くから所有している物件を管理しています。自分が築いてきたものを、守り通したいという気持ちが強いんです。
もちろん、銀行からお金を借りて。よく貸してくれた? それは23歳のとき母親の家を購入するために借りたのが最初ですが、それから長年きちんと返済してきたからです。
僕は当時から、収入の半分は貯金か投資をし、残りの半分のうちの3分の1で車のローンを返し、3分の1でダンスレッスンを受けたりして自分に投資し、3分の1を生活費に充てる、という使い方をしてきました」
「最近では、仲間と2人で会社を起ち上げました。沖縄のデパート14~15店の催事に従業員を派遣して和・洋菓子や洋服を販売したり、キムチを卸したりする事業をしています。
従業員は10~15人ほど。あとは逮捕前に成功していたジュエリー販売のお仕事も、2年ほど前に再開して月に1~2回地方へ行っています。デザインは今はやっていませんが」
羽賀さんが今、もっとも自身の時間を費やし身体を使っているのは、YouTubeやインスタグラムなどSNSでの活動だそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/651077...
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