俳優の大泉洋(51)が16日放送のTBS系「日曜日の初耳学」(後10・00)にVTR出演。出世作となった北海道テレビの伝説の番組「水曜どうでしょう」について語った。
同番組は人気絶頂だった2002年に、わずか6年でレギュラー放送を終了。
インタビュアーの林修から「率直におっしゃっていただきたいんですけど、大泉さんは番組を終わりたいと思っていたんですか?」と問われると、大泉は「思ってない」ときっぱり。
「だからね、本当に切なかったですよ」と続けた。
大泉によると、同番組は藤村忠寿チーフディレクターとディレクター兼カメラマンの嬉野雅道氏が「1から10まで」つくっていたという。
「彼らは『水曜どうでしょう』をやっちゃうと、それ以外の仕事が何もできない」とした上で、「そこでやっぱり彼らは『どうでしょう』以外のことがしたくなるんですよ。だから途中を1回休むんですよね」と回顧した。
そして「なんか、そのへんから『水曜どうでしょう』に対する熱意が、ディレクター陣から冷めてきているっていうのが、僕、ものすごいよく分かったんですよ」とし、
「だからね、番組が終わりそうになっている時、余計に必死でしたよ。“終わらせちゃいけない”と思っていたから。だから“もっと面白いことしなきゃ”っていう焦りがあった」と当時の複雑な胸中を吐露した。
「だけど、藤村忠寿さんも辞めるとは言えなかった。ファンが熱烈だから」とスタッフにも葛藤があったと明かした。
その状況を打破したのが、ロケ中に口にした大泉の“名言”だったという。
「私が風邪ひいてね、“東北生き地獄ツアー”っていうバカみたいな企画があったんですよ」と振り返り、そこで「“私は一生どうでしょうします”っていう名言吐いちゃったんですよ」と明かした。
「それをうまく使って、“番組は辞めません。一生どうでしょうします。でもいったん、ここでレギュラー放送は終わらせます”っていうことでやっとレギュラーを終わらせられたんですよね」とし、
番組は「数年に1回ロケをする」スタイルに。「オリンピックよりもロケをしない」と大泉は笑ったが、この“名言”により番組終了を関係者は受け入れられたと語った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/99a5d7f2dec1dac04189f...
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