1996年、小室哲哉さんがプロデュースする音楽グループ・dosの“男性メンバー”としてデビューし、2002年にカミングアウトしてからは、いわゆる“オネエタレント”と呼ばれブレイクしたKABA.ちゃん。
2016年には性別適合手術を行い、戸籍上も女性に。名前も永次から一華になりました。
デビューから28年。社会の価値観が変化する中、貫いた“自分らしい生き方”とは――。日本テレビの森圭介アナウンサーが聞きました。
■「小さい頃から女の子だと思っていた」
森アナ:(セクシュアリティーに関する)もやもやができ始めたのは、いつくらいだったんですか?
KABA.ちゃん:小さい頃から私女の子だと思っていた時代があるんです。物心ついて(小学校)高学年くらいまでは、実を言うと思っていて。体も同じところから成長とともに男性と女性に分かれていくものだと。
森アナ:生まれ持って別のものではないと?
KABA.ちゃん:はい。「私だけちょっと成長が遅れているんだ」とかそういう感じで思っていたんです。
■デビュー時は“男性メンバー”として売り出される、小室哲哉さんプロデュース・dosのメンバーとしてデビュー
友達も女の子が多く、ピンク・レディーに憧れていたというKABA.ちゃん。念願だった芸能界に入ったのは1996年、27歳の時です。
小室哲哉さんがプロデュースする音楽グループ・dosの“男性メンバー”としてデビューしました。
さらに、振付師としての才能も発揮。安室奈美恵さんやSMAPの『世界に一つだけの花』など、数々のヒット曲の振り付けを担当しました。
森アナ:その頃のKABA.ちゃんを振り返ると?
KABA.ちゃん:デビューした頃は、周りからそういうの(セクシュアリティー)を隠すようにって言われたんです。
理由としては女性のファンの方も応援してくれているので、そこは伏せておいてほしいっていう周りの判断。
(芸能界は)憧れていた世界だから隠せると思っていたんです。苦じゃないというか。やりたい夢の方をとった感じ。
■カミングアウト後は“自分らしさ”を表現「やっと言えた」そして2002年、テレビ番組で恋愛対象が男性であることをカミングアウトします。
KABA.ちゃん:ほっとしました。「やっと言えた~」みたいな。私は言いたい派だったんです。というのもウソをついて生きているのが気持ち悪くて。
森アナ:カミングアウトのあとは自分を出して?
KABA.ちゃん:そうですそうです。求められることもあるから、そこに少し過剰に反応してみたりとかはありました。でも自分の生きやすいように生きていたのはあの時代かな。
森アナ:あれから20年近くたっていろいろな価値観も変わってきましたけど、それこそ“オネエ”とか“おかま”とか当時は当たり前のように言われていましたよね。
KABA.ちゃん:なんかね、制限なかったというか。私はですけど、笑ってもらえることで私はそこに存在価値があるのかなって思っていたんです。だからそれで自分でも「おかまよ」とか(言っていました)。
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