シドニー五輪(2000年)の元柔道銀メダリストで、柔道男子日本代表の元監督の篠原信一(51)さんは、現役時代、「寡黙な男」だったが、のちに知名度と実績を活かしてタレント活動も行うようになる。
2016年には、明るく大らかなキャラクターで大ブレイクを果たした。
しかし、この数年はバラエティー番組などで、その姿を見掛けない。
NEWSポストセブンが取材を進めると、現在の篠原さんはタレント業からは距離を置き、当時住んでいた奈良県を離れて、長野県内の大自然に囲まれた安曇野市で暮らしていた。
取材班が自宅を訪ねると、51歳となり、今では白髪交じりになった篠原さんが、バラエティー番組に出演しなくなった理由について語ってくれた。
「記者さんが来た言うて、家族は僕が『なんかやったのかと思った』と驚いてましたわ(笑)
今でもたまに『最近テレビに出てないですね』と言われます。芸能の仕事が減ったのは、正直、僕の需要がなくなったというのもありますよね。
現役を引退し、柔道男子日本代表の監督を務めた篠原が、柔道を面白おかしく、時にはディスるというと語弊がありますが、解説をするというのは、柔道を世に広めるという意味での役割があったと思います。
勝手にですが、僕はそういう思いでテレビに出させてもらっていました」
兵庫県生まれの篠原さんは、中学1年生で柔道を始め、育英高校に進学。1995年に天理大学を卒業後に旭化成に所属。2000年のシドニー五輪100キロ超級で銀メダルを獲得したが、「世紀の誤審」として物議をかもした。
2003年に現役を引退すると、2008年に柔道男子日本代表監督に就任。監督退任後にタレント活動を始めると大ブレイクし、同学年の中居正広にいじられるなど“時の人”となった。
「テレビにたくさん出るようになって、1、2年が経った頃に『もう喋ることがない』『毎回同じ話をしているな』と感じました。
共演している芸人さんやタレントの方を見ても、みんな頭がいいし勉強している。トークの展開にしても、芸人さんらはいろいろ考えている。
僕は柔道や自分自身のことを、ただただ面白おかしく喋るだけ。プロには適わないと気づいた瞬間でした。
当然、視聴者の人も飽きてきますし、今後テレビに出演するうえで、僕には改めて何か勉強しようという気も起きなかった」
だが、「決してバラエティーの仕事が嫌いになったわけではない」と、篠原さんは語る。
「仕事は楽しかったです。ただ、毎回同じ話をしているような気がして、自分でも『これでいいのかな?』と感じていました。芸人さんは同じような話でも工夫して面白おかしく話すじゃないですか。
僕にはそこまでの技術はないし、どうすればいいのかも分からない。もともと目指しているフィールドも違います。
今でも地元テレビ局のローカル番組『土曜はこれダネッ!』(長野放送)には出演させてもらっていますし、テレビを避けているわけではありません。
ちなみに、長野は“わさび”の産地として有名ですが、ありがたいことに地元企業の『わさびのマルイ』のCMにも出させてもらっていますし、いただいた仕事には、すぐ食いつきますよ(笑) 」
https://news.yahoo.co.jp/articles/19a4f83a7c7954f6b0cc8...
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