なおメギンソンは19世紀ロシアの生物学者カール・ケスラーの進化説に強い関心をもち、
この言葉もむしろケスラーの考えを反映している。
ケスラーは「競争よりも相互扶助が進化に重要」だと主張し、革命家ピョートル・クロポトキンに
思想的影響を与えて無政府共産主義に導いた人物である。
そんな背景のもとに記された言葉が、ダーウィン自身の言葉へと“進化的変化”を遂げ、
競争を生き抜くためのビジネス界の呪文となったのは皮肉な話である。
さてこの言葉、進化生物学的な興味はもう一つ別にある。
環境の変化に対応できる生物──特に、常に変化する環境に速やかに適応できる生物の性質があるとすれば、
それはどのようなものかという点だ。
最近のゲノム科学や理論研究が示した答えは次のようなものだ。
集団レベルの性質ならば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない
“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことである。
個体レベルの性質なら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、
複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことである。
要するに、「常に変化する環境に適応し易い生物の性質」とは、「非効率で無駄が多い」ことなのである。
これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できない
ことと似ている。
だから、もしこのダーウィンの言葉と誤解されているフレーズが、
「どう変化するか予想が困難な社会環境のもとで、組織や業務の“選択と集中”や、効率化を進めること」
を正当化するために用いられるなら、それは明らかに誤りであり不適切である。
返信する