他人を引きずり下ろしたり、自分よりも上だと思っている人が失敗したときに感じる喜びを
「シャーデンフロイデ」と言います。
なぜ人を引きずり下ろすことが「喜び」になるのでしょうか?
それにはいくつかの条件があるのですが、まず、対象としては、性別や年齢、職種、立場など、
自分と同じような人が近くにいること。
そして、その人が自分よりも上位の何かを持っていることです。
たとえば、自分のものより良い車、良い場所に建てられた大きな家、美しい妻、高収入の夫、
優秀な子ども、などです。
その結果、その人に対してネガティブな感情が生じます。
これが「妬み」です。
妬みは、自分でも「持っていることを認めたくない」ような感情ですし、 持っていること自体、
苦しいものです。
なるべく早く解消したい…そのために、ヒトはほとんど無意識に反応してしまいます。
その反応には大まかに2種類あり、 ひとつは「自分が相手を超えてやろう」、もうひとつが
「相手を引きずり下ろそう」というものです。
普通は、「誰かを引きずり下ろしたい」という考えを持っている、などと自分で認めることは困難です。
できれば、その人をかわいそうだとか何とか思っていることにしたい。
普通の人にアンケートで聞いたりすると、ウソをついているつもりはなくても、やっぱり「かわいそうだと思う」、
とか、「誰かを引きずり下ろしたいと考える人がいるなんて信じられない」、などと答えたりします。
「そんな感情を持つ人がいるなんて信じられない、私には妬みすらない」、と堂々と言ってしまえる人は、
自分がサイコパスであるとみんなに思われたい人か、シャーデンフロイデについてよく知らずに
脊髄反射した人のどちらかということになります。
しかし、どんなに自分の「妬み」や「引きずり下ろしたい」という感情を否定しても、
脳機能画像には映ってしまいます。
fMRI(機能的磁気画像共鳴法)で脳をイメージングすると、妬みの対象が引きずり下ろされたときには、
喜びを感じる部位が反応してしまっています。
その喜びが「シャーデンフロイデ」であり、「他人の不幸は蜜の味」と言われるゆえんです。
これは、理性を司る部位よりもずっと深い部分にあり、無意識的に喜びが沸き上がるため、
理性による制御は困難です。本能的な反応と言えます。
その人の人間性の良し悪しとは全く関係ありません。
宗教的・倫理的にどのような主張をしようが、「他人の不幸は蜜の味」というのは、
自己欺瞞によっては覆い隠しようがない厳然たる事実なのです。
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