そろそろタトゥーの是非に決着をつけるべき時なのかもしれません。関連するニュースが報じられるたびに正論の名を借りた拒否反応が一斉に噴出する。
こうした現代の市民社会の傾向は、一体どんなメンタリティーを示しているのでしょうか?
9月23日放送の『1億2000万人のありがとう! 歌の感謝祭』(日本テレビ系)に、YOASOBIが出演。
ニューヨークでのインタビューが放送されると、話の内容よりもAyaseのタトゥーに注目が集まったのです。
肌の大半を覆う衣装であったにもかかわらず強烈な存在感を示す彫り物に、「どんどん派手になってる」などと驚きのコメントが相次ぎました。
放送以前の8月2日にAyaseが自身のインスタグラムを更新した際にも、「
いくら有名アーティストでもこれはやりすぎ」とか「タトゥーを入れる行為を甘やかさず、テレビ出演は厳しく線引きすべき」といった批判の声が多く寄せられました。
いずれの意見からも、公序良俗や安心安全な市民生活を脅かす可能性があるという考えから、Ayaseのタトゥーを認めるべきではないという主張であることがうかがえます。
確かに、タトゥーを目にした際に不快感や嫌悪感を抱くのは、人それぞれです。その感性自体は否定されるべきものではありませんし、筆者にもその気持ちは理解できます。
しかし、同時に、人間には直接的に他者に危害を加えるのではない限り、たとえ本人が不利益を被ろうとも、その種の行為をする権利も保障されています。
愚行権というものです。タトゥーに限らず、お酒やタバコを嗜んだり、バンジージャンプやスカイダイビングで非日常のスリルを味わうこともこれにあたります。
その際、他者が不快に思う事実そのものと、誰かがそのような行為を選択し、実行することに賛同できないからといって、その自由までをも具体的かつ物理的に奪うこととの間には、明確な区別がなされます。
愚かだからといって、それを理由に社会から排除することに正当な理由はない。これが、まっとうな市民社会の前提なのです。
Ayaseが自身の肉体を多種多様なデザインの彫り物で埋め尽くすことは、確かにある人から見たら余計なことかもしれない。
「清潔感がなくなるからよせばいいのに」という心配をする人もいるかもしれない。
しかし、このマイナスにしか思えない行動であっても、それを選び取る個人の意志こそが、まさにこの愚行権という市民社会の認める自由によって保障されているのです。
つまり、ミュージシャンのタトゥーを目にして不快だからと言って、「やめろ」とか「テレビへの出演を規制すべきだ」というのは、この自由を侵す可能性のある越権行為だと認識する必要があります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e472bd863852b750432bd...
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