相田翔子、Wink時代無表情だった理由「反発、反骨心を貫いた」


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001 2025/11/29(土) 22:18:18 ID:zxPoSgf/Ok
元「Wink」のタレント相田翔子(55)が、29日放送のカンテレ「おかべろ」(土曜後2・28)にゲスト出演し、無表情にまつわるエピソードを語った。

鈴木早智子とのデュオで88年、「Sugar Baby Love」でデビュー。3枚目のシングル「愛が止まらない~Turn It Into Love~」がオリコン1位の大ヒットを記録し、突如として大人気者に。
また「淋しい熱帯魚」では日本レコード大賞に輝いた。2人は感情を顔に出さないパフォーマンスで、“笑わないアイドル”の異名を取ったが、それには2つの理由があったという。

「歌っている時にカメラがランプが付いたところに、自分がわーっと歌ったら“にこってやりなさい!”って凄く怒られて、社長に」
それでも、「やっぱり『愛が止まらない』とか『淋しい熱帯魚』とか、結構切ない失恋、届かぬ思いみたいなのを歌っているのに、
にこにこ笑うのは、私は違うんじゃないかな?って、反発、反骨心があって。やってみたいけど、ちょっと違うと思って。それは貫いた」

音楽番組では、郷ひろみや松田聖子、中森明菜といった大スターたちと同じステージに立つこともあった。「あがり症で、いつもドキドキしてた」と、もう一つの理由を告白。
「やっぱりオンエアを見ると、最後のエンディングロールでWinkはいつも映ってなくて。無機質なWinkというのが…(定着していた)」と振り返った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8ea76aaaf925fd2c7f8bc...

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003 2025/11/29(土) 22:51:32 ID:7tolfXlMd.
[YouTubeで再生]
私は、かれこれもう44年もこの業界にいます。新卒では、ナベプロ(渡辺プロダクションの通称)に入社しました。若いときはだいたい売れている人のマネジメントにまわるので、最初はアイドルの草分けでもある天地真理さんにつきました。それから、アグネス・チャンさんにもつきました。普通の荷物持ちや運転からはじめ、日用雑貨もいろいろ買いに行ったかな。業界についてのイロハを学ばせてもらった5年間でしたね。

そのあと別の事務所に移籍したんですが、結局、36歳の頃、リストラにあいましてね。まだ子どもも小さかったものですから、一念発起して起業したんです。それが1987年のころかな、現在のアップライトミュージックを設立したんです。そんなとき、ちょうどナベプロにいたころの同期が出版社『ワニブックス』で社長をやっていたこともあって、たまたまアイドル雑誌を眺めていたんです。すると、雑誌のなかにいるひとりの女の子に目が留まったんですね。それが、鈴木早智子。当時まだフリーだった彼女をまず引き取り、次に、その同期からスターダスト(プロモーション)の社長を紹介してもらって、相田翔子のマネジメント権を譲り受けました。そう、それで、Winkを結成させました。1988年4月のことです。でも、デビュー当初は鳴かず飛ばずでした。借金ばかりがどんどかさんで。当時4400万円くらい赤字が膨らんでいたかな。一人の男としてこれ以上いったらヤバいというラインですよね。それで、もう諦めかけていた矢先に、火がつきはじめたんですよ。あれは、シングル3作目の『愛が止まらない〜Turn It Into Love〜』、ドラマの主題歌にもなっていたね。

そのときも、色々と成功する秘訣を尋ねられることもありました。でも、Winkを売り出す際に、私が彼女たちに言ったのは、“無表情”でいること。楽屋裏とかにいると、子役さんとか、タレントさんとかスタッフが所構わず“ありがとうございました~”とか“お疲れ様でした〜”なんて言ったりするのをよく耳にしました。でもその挨拶には、まったくココロがないなぁと、業界に身を置くなかで常日頃思っていました。だから、自分がマネジメントするタレントさんには、本当に思ったことだけを表情や言動に出してほしいと感じていて、彼女たちにはそう言い聞かせました。ふたりは、すんなり僕の考えを受け入れてくれましたね。
https://www.jprime.jp/articles/-/3709?display=...

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