
また、公正世界仮説を心に飼うことで、外向性、協調性、心理バランス、幸福感、
利他精神といったプラス要素の数々が養われます。
ただ被害者叩きをするためだけの野蛮な心理というだけでなく、秩序とマナーを重んじる
文化的な生き方を奨励する重要なシステムでもあるという訳ですね。
なんと、公正世界仮説を強く信じる人ほどいじめを許さないという研究結果まであるそうです。
ただ、公正世界仮説が調律者や弁としての役割を持つのは“公正”が揺るがない間だけです。
もし“公正”が揺るげば、辻褄合わせのために「夜中に出歩くから…」「誘うような服装だから…」
「前世が悪人だから…」と理由をつけて被害者を叩く鬼畜へと変えてしまいます。
貧困に関しては、公正世界仮説を強く信じる人ほど「本人が悪い」と考えがちで、
逆に信じていない人ほど外的要因を考慮するのだそうです。
また、主観的に「努力が報われなかった、裏切られた」と感じたときも、
公正世界仮説は人間を鬼畜に変えます。
方法の正誤は問わず、ただ長年黙々と続けていた努力が実らなかったり裏切られたりした
と感じたとき、揺らいだ“公正”の辻褄合わせは「組織が無能だから」「社会の仕組みが悪い」
へと行き着きます。
その先がテロリズムであることは言うまでもないでしょう。
善行と努力が正当に報われる“公正”が守られているうちは、公正世界仮説は
精神を安定させ行動を律する善きシステムとなって機能します。
しかし、その“公正”の揺らぎを知覚した時、公正世界仮説は鬼畜の思考をもたらす
暴力装置となります。
現実は“公正”と程遠い事を理解しつつ、なればこそ“公正”は貴く望ましいと
理想を捨てないで生きていたいものですね。
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