ズキ(浜松市)は27日、同社を世界的な自動車メーカーに育て上げた相談役の鈴木修さんが死去したと発表した。94歳。岐阜県下呂町(現下呂市)出身。
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静岡県の政財界に強い影響力を及ぼしてきたスズキの相談役・鈴木修氏(94)が亡くなったと聞き、「巨星落つ」という言葉が浮かんだ。
圧倒的なカリスマでスズキを世界的な自動車メーカーに発展させた一方、非自民系知事の誕生にも深く関わり、
一部の自民党関係者からは「全てが鈴木氏の意向ひとつで決まるのはおかしい」といった反発もあった。
「もう私も94」「昔のように気力なく、くたびれました」
今年の4月10日。記者は静岡県知事選(5月26日投開票)の情勢取材のため、東京から新幹線で浜松市内のスズキ本社を訪れ、旧知の鈴木氏を筆談で取材した。
鈴木氏はその際、記者の差し出した紙に黒ペンでそう書き記した。
鈴木氏が長年支援してきた前浜松市長の鈴木康友氏(現知事)を知事選で支援するかどうかが、知事選での焦点となっていた時期だ。
鈴木氏は記者の前で、知事選への対応について考えを巡らせながら、時折「ふうー」と大きな息を吐くなど、疲れたような様子を見せた。
約2年前に取材した時は、筆談を交えつつ会話でのやりとりもできていたが、この時はほぼ全てが筆談。いつも活力にあふれていた鈴木氏の「らしくなさ」にも戸惑ったのを覚えている。
複数の関係者によると、鈴木氏の体調はここ数ヶ月で急激に悪化していたという。
鈴木氏は1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。2代目社長・俊三氏の娘婿となり、1978年に社長、2000年には会長に就任。
堅実な経営で会社を成長軌道に乗せ、1980年代にはインド進出を牽引してスズキ発展の土台を築いた
https://www.tokyo-np.co.jp/article/37609...
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