浅田真央が来韓「ヨナは大切な存在、おにぎりとキムチ渡しあった」
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001 2024/10/19(土) 20:05:28 ID:M3sZVyhzk6
元フィギュアスケート韓国代表キム・ヨナさんのライバルで、元日本代表の浅田真央さん(34)が「ヨナは私にとって大切な存在」と語った。
浅田真央さんは17日、ソウル市内のロッテホテルで行われた日本航空(JAL)の金浦−羽田就航60周年記念式で「ヨナがいなかったら私はこの場にいなかったでしょう」とスピーチをした。
そして、「ヨナと一緒にアジアを代表するフィギュアスケート選手として一時代をリードできてうれしかったです。
初めてヨナに会ったのは14歳の時でした。母親同士も知り合いなので、お互いにおにぎりとキムチを渡しあったりするほど仲が良かったです」と言った。
浅田真央さんはキム・ヨナさんを「ヨナ」と呼び、親近感を持っている様子だった。この式には韓国航空業界や旅行業界の関係者約200人が出席したが、
日本航空の一部社員を除いては浅田真央さんが来韓することを知らなかったという。
キム・ヨナさんと浅田真央さんは同い年で、2000年代中後半から2010年代初めまでフィギュアスケートの世界的な大会に出場して数々の優勝を果たし、ライバル関係にあった。
浅田真央さんはフィギュア世界選手権で金メダルを3回獲得したが、2010年バンクーバー冬季五輪ではトリプルアクセルを3回成功させながらもキム・ヨナさんに金メダルを譲らなければならなかった。
日本のフラッグ・キャリアである日本航空は韓日国交正常化より1年早い1964年から金浦−羽田路線を就航させている。
大韓航空と共同で週3回の運航を開始して以来、現在も毎日3便を運航中で、最も長い期間にわたり同路線を運航している。
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/10/19/...
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003 2024/10/19(土) 20:26:41 ID:FcAV3JVr8A
どちらの顔と結婚したいと問われたら、ためらいなくヨナを選ぶわ。
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004 2024/10/19(土) 20:58:16 ID:VDy0LQstWA
005 2024/10/19(土) 21:26:40 ID:OosO08aiks
エッチしなきゃキムヨナに勝てないよ。
女になって表現力を身に付けて欲しい。
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006 2024/10/19(土) 22:05:09 ID:jK/ub47hWo
007 2024/10/19(土) 22:07:13 ID:75JSBdy3s2
008 2024/10/19(土) 23:26:58 ID:yz6TaaWcK2
要するに、アイスショーに出してくれと懇願。
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009 2024/10/20(日) 02:09:14 ID:C26MBsxP1I
010 2024/10/20(日) 02:40:37 ID:1qp6e61mi6
011 2024/10/20(日) 03:20:30 ID:ABQws09JjY
徴兵令制の半島で冷戦中の国のアスリート
と
敗戦国でゆとりお花畑の国のアスリート
占領された国と平和ボケの国の競技
WBCでの韓国チームのイキリ方を見れば
明らか
返信する
012 2024/10/20(日) 07:32:14 ID:.lxhzasTVU
013 2024/10/20(日) 13:36:00 ID:oTbHj.Q5YU
[YouTubeで再生]
1950年、金日成率いる北朝鮮軍が、38度線を越えて韓国に侵攻した。朝鮮戦争である。ロッテの経営を軌道に乗せるため奔走していた重光氏は、故郷の惨状を見守るしかなかった。当時、日本と韓国には国交がなかったのだ。韓国では、1961年の軍事クーデターで日本陸軍士官学校出身の軍人、朴正煕氏が政権を掌握。1965年には、当時の佐藤栄作首相との間で日韓基本条約を結び国交を正常化させる。「満州国」人脈でつながる朴大統領と岸氏の間を、国交回復前から往復していたのが、重光氏だった。
1967年、「機は熟した」と見た重光氏は韓国に現地法人を設置する。当初は、経済の基盤となる製鉄業など、重厚長大産業への進出を夢見ていた。しかし韓国への投資を準備し始めた矢先、重光氏は朴大統領に呼ばれ、こう言われる。「わが国には、海外の賓客をもてなす一流のホテルがない。あなたにはホテル事業をやってほしい」そう言って、朴大統領はソウル市街にある「半島ホテル」を、韓国ロッテに払い下げることを提案した。半島ホテルは日本の占領時代、旭化成の創業者で「朝鮮半島の実業王」と呼ばれた野口遵(したがう)が建てたホテルで、ソウル市街のど真ん中にある。独立後、韓国政府の国有となったが、運営がうまくいかず赤字続きだった。「いや、ホテル経営はやったことがないので……」重光氏は逡巡したが、朴大統領は「是非に」と譲らない。「少し時間をください」重光氏はすぐに欧州や米国の高級ホテルの視察に出かけた。視察旅行から帰った重光氏は、「なんとかやれそうだ」と自信を持ち、半島ホテルの経営を引き受ける。これが現在も小公洞にある「ロッテホテル ソウル」だ。
重光氏はホテルを訪れる外国客のために免税品店を始め、これが百貨店事業につながる。やがて念願の石油化学、建設事業にも進出し、ロッテグループは「サムスン」、「LG」などに次ぐ韓国5位の財閥(総資産11兆円)にのし上がった。最晩年には、日本法人の経営権をめぐって長男と次男の争いが勃発し、株主総会での闘争にまで発展した。紛争は次男の勝利で終わったが、その次男が朴正煕の娘である朴槿恵政権に介入したとされる崔順実に対する贈収賄容疑で逮捕され、2019年に有罪(執行猶予4年)が確定するなど、最後まで「政商」の呪縛からは逃れられなかった。しかし、半世紀に渡って日本と韓国を飽くことなく往復しつづけた重光氏が、日韓に大きな橋をかけた偉大な経営者であることは間違いない。
https://www.jiji.com/sp/v4?id=foresight_00296_20200...
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014 2024/10/21(月) 09:55:37 ID:xeYBHzelR.
018 2024/10/22(火) 11:42:43 ID:STrKK4OPCg
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