101 :('A`)[sage]:2009/12/12(土) 00:07:09 0
毎年25人(女14~13男12~11)の合格者が出てその大半は多浪、現役0人の年もざら。そして学部卒業するとその半数は大学院に行き、
半数はバイトをしながら作家活動、就職するのは1,2人、院に行った連中から3人は博士にいき、そこから1,2人は大学に助手として残るが
、残りは予備校講師などのバイトしながら作家活動という名のフリーター。
卒業から5年も経つと女の7割は結婚していて、男も作家活動を諦めて仕事を見つけた奴がちらほらと。8年経ったら絵描きを目指していた
25人のうち未だ作家として絵を描いているのは4分の1以下、その連中も予備校講師で生計を立てながら院展、創画会などの公募展に出す
くらいで絵自体は殆ど金にならず、むしろ高額な岩絵の具や麻紙代で貧窮生活。
そして30を超えると高給で楽だからと続けていた予備校からもクビを切られそうになりお先真っ暗。クビを切られず30過ぎても予備校講
師をやっているとそのまま予備校専属の講師で終わる。クビを切られた連中は大抵カルチャーセンター講師や個人お絵かき教室の先生、教
職もってるやつは中高の美術教師に落ち着く。この頃には女は殆ど家庭に入る。
大学法人化したせいで助手は4年間という制度ができ、助手→講師→教授の出世コースも厳しくなり、助手になっても4年を待たずクビを切
られる。皆、画家として活躍することを夢見て活動するも、大学から出た辺りで手詰まりになり、大半は生活に困り、卒業後数年で作家活
動を諦め、生活のために働くようになる。そんな中から売れっ子は10年に一人出る出ないか。
毎年毎年、千住博、村上隆、松井冬子、もしくは院展の同人作家たちみたいに日の目を見るという夢を持った、25人が多浪までして入って
きて、 それと同じ位の数の藝大日本画OBがその年画家の道を諦める。藝大ブランドが通じたのは美術予備校の講師になるときだけという現実。
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